「大溪創生館」を後にして、「大渓中正公園」をめざし中山路を西へ歩いていく。
中山路が普濟路の突き当り左手に佇むのは、「大渓公会堂」。大正時代に建てられた地域住民のための集会所だった建物だ。
この公会堂のある普濟路を左に進むと、ちょうどさきほどの新南老街の裏に、日本統治時代の建物がたくさん残っていて、それらもみんな「大溪木藝生態博物館」になっている。
わたくしは今回はそちらの方には行かないけど、1軒ごとにテーマが異なる展示館になってて、じっくり見て回るのも楽しいので、時間がある人におすすめのスポットだ。
公会堂の外観のみ眺めて、普濟路をを右に進むと、そこはもう「大渓中正公園」。
公園に入ったところで、コロンコロンの柴さんがダッシュされているのに出会った。真ん丸でカワユス。
「大渓中正公園」は、日本統治時代の1912年に「大嵙崁公園」として整備され、1920年には「大渓公園」と改名された公園で、1932年には大渓神社も建立されたところ。
戦後は神社は取り壊され、名称も蒋介石に由来する「中正公園」に改められた。現在は、「大渓中正公園」と呼ばれている。
公園内には日本家屋があって、なんか展示してたなあ……と思いながら歩いてたら、いつのまにかその日本家屋はオサレなスタバに変身していた。
建物の前身は1920年代に建設された大渓国民小学校の校長宿舎で、「大溪木藝生態博物館」に属する建物の中で最初に修復が完了したので、建物名を「壹號館」という。
行列とかはできてなかったけど、中はほぼ満席の様子で、すごい人気みたい。
スタバのすぐそばには、円形の野外劇場の客席みたいな空間の中央に和風の建物が立っている。こちらは「大渓相撲場」といい、檜の無垢材で建てられているんだそうだ。
見た感じ床も板張りで土俵はなさそうだけど、板の間で相撲してたのかな? 復元した時に土俵は作らなかったのかな? 知らんけど。
相撲場のすぐそばには、石灯籠が並んでるエリアがある。
ここは大渓神社の参道なんだけど、石灯籠が新しいのは、現在の姿は修復されたものだから。
神社跡には誰もいなくてさみしい雰囲気。参道の奥の拝殿と本殿は戦後に取り壊されて撤去され、跡には超然亭という名の東屋が建てられている。
東屋の前には一対の狛犬さん。台座の「奉納」の文字は見えるけど、年号とかは削られている。
拝殿と本殿があった場所の土台は、神社のものをそのまま使っていると思われる。
石垣の周りには、撤去した石灯籠か何かの台座が放置されている。これらの石材に彫られた文字は判読可能なものが多かった。
こちらは「昭和七年十月建立 石川県人大正十三年来?」と読める。最後の文字は何だろう。奉納された方、もしくは方々は、大正13年に台湾に来られたのだと思われる。
こちらは「奉納 大渓神社」と読める。わかりやすい。
こちらは中田さんという方が奉納したものみたい。
境内だったと思われる範囲には、ほとんど神社の面影は残ってないけど、わずかに残った痕跡から、当時の日本人の人たちの生活の息吹が伝わってくるような気がする。
不思議な空気を感じる場所でした。
2025年5月桃園大渓から台北までサイクリング⑤につづく~
大渓公会堂(MAP)
住所:桃園市大溪區普濟路21-3號
時間:09:30~17:00、月曜休館
大渓中正公園(MAP)
住所:桃園市大溪區普濟路
ここまでの徒歩散策ルート(MAP)
※体験記の内容と現地の現在の状況は異なる場合があります。
%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%90.jpg)
%E5%A4%A7%E6%B8%93%E5%85%AC%E4%BC%9A%E5%A0%82.jpg)
.jpg)
%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%90.jpg)
%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%90.jpg)
%E7%9B%B8%E6%92%B2%E5%A0%B4.jpg)
%E5%A4%A7%E6%B8%93%E7%A5%9E%E7%A4%BE.jpg)
%E5%A4%A7%E6%B8%93%E7%A5%9E%E7%A4%BE.jpg)
%E5%A4%A7%E6%B8%93%E7%A5%9E%E7%A4%BE.jpg)
%E5%A4%A7%E6%B8%93%E7%A5%9E%E7%A4%BE.jpg)
%E5%A4%A7%E6%B8%93%E7%A5%9E%E7%A4%BE.jpg)
%E5%A4%A7%E6%B8%93%E7%A5%9E%E7%A4%BE.jpg)
%E5%A4%A7%E6%B8%93%E7%A5%9E%E7%A4%BE.jpg)
%E5%A4%A7%E6%B8%93%E7%A5%9E%E7%A4%BE.jpg)

